こんにちは。
「中堅理学療法による北海道理学療法研究会」
代表を務めさせていただいている小野圭介です。
研究会の名前長いですね。
npt-hokkaidoとか言ったりしますがこれも長い。
マンチェスターユナイテッド=マンチェ
ユヴェントス=ユーヴェ 何かかっこ良いですね。
センスある略アイディアお待ちしております。
今回は、2019年11月に北海道理学療法士会の「画像の診方」講習会にて
講師をさせていただいた内容を一部公開したいと思います。
ブログに書ける内容にぎゅっっっとまとめてみました。
2019年に「画像の診方」講習会を担当させていただきました。
オフィシャルな場で講師を担当するというのは大変貴重な経験でした。
私は例年自分に課題を課すのですが、
この講師担当をその年における一番のハードルとしていました。
大方の資料を作り終えた頃、当研究会の副代表である伊藤広和さんに
「どんな講師像で行くんだい?」と問いかけられました。
・・・
ん? こうしぞう?
資料を作り上げるのに手一杯であった私には
考えてもいない角度からの指摘でした。
私なんかの若輩者が行う講習、偉そうに教授するなど滅相もありません。
私なんかの若輩者が行うからこその意義を考えなければならない。
はっとしました。
ここから私の講習会講師に向けたブラッシュアップの日々が始まりました。
私らしい講習会とは何なんだ?
そんなもの、参加していただく方はなにも求めていませんが、
講師担当を通した自己を研鑽する境地であります。
講習会に向けて自分を振り返りました。
まず出てきたのは
「自分はプライドがそんなない」 でした。
プライドの象徴であるベジータが悟空に放った名言
「た…たのむ…フリーザを…フリーザをたおしてくれ………」
このセリフを聞いた時から
プライドを捨てる美学を感じてたのかもしれません。
そこで、
臨床のありのままを伝える「等身大」が土台となりました。
臨床では教科書通りの症例はほぼほぼなく、
むしろその教科書通りではない点に悩みます。
そのような臨床で悩んで今までまとめた症例をそのまま伝える形にしようと考えたのです。
「小説風講習会」
行き着いたのは
「小説風講習会」 でした。
私が理学療法士を目指したのは高3の受験を控える直前でした。
私は国際協力、福祉関係、(考古学者)を目指して
文系を選択していたのですが、
受験目前にして理学療法士を目指すことにしたのです。
(ここらへんに興味を持ってもらえるよう今後頑張ります!)
そして、私はサッカー部でした。
クラスで図書委員選考が難航し、
部活の練習開始時間を過ぎても残されていたのです。
練習に行きたい気持ち、
担任の目線、
救世主願望、
混ざり合わせた私は
夕暮れの薄暗い教室で図書委員になったのです。
図書委員は、過酷でした。
夕方は居残りで蔵書点検などがかせられました。
図書委員となってからサッカー部の練習開始時間に
毎度間に合わないのです。
練習に行きたい気持ちでなった図書委員。
図書委員の仕事で練習に行けない毎日。
「本末転倒」
体感した青春でした。
この時サッカー部の顧問に名付けられたあだ名が
「よっ!文科系サッカー部」
でした。
このように私の原点は、
”文科系理学療法士”
なのです。
原点に立ち戻れた私は、
資料の作り直しをはじめました。
期限が迫る中、やり直すという行為はストレスに感じる場合がありますが、
この時の私は嬉々としていました。
闇雲に資料を作成しているときより
テーマや軸が定まり構築していく作業の方が
楽しく頭の中がまとまるものです。
資料作りや講師を担当するとき、学会発表などの機会に
良ければ参考にしてください。
文科系理学療法士が目指す講習、
それは「起承転結」、「接続詞を重視」でした。
物語のように内容を伝え、○○だから○○とスライドを繋げていく。
そのような挑戦をしました。
内容をぎゅっっっとまとめる予定でしたが、
講習会にたどり着くまででぎゅっっっとなってしまいました。
文系の書きたがり真骨頂が出ましたね。
申し訳ありません。
そのため、内容一部公開は次回のブログにしたいと思います。
ちなみに、
「小説風講習会でいこうと思う」
と伝えたところ
どこか”?”が漂うような表情を
伊藤広和さんはしていました。
何をやろうとも、原点は変わらないものだぜ。
以上です。ありがとうございました。